2020年03月31日

永 別

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不慮の災禍のため急逝したとの報に接し、
私たちは慟哭するとともに、感涙の情、おくあたわざるものがあります。

自粛要請。
己自身だけではなく、誰かの大切な命を守る為の自粛なんです。
個々人が、自粛する意味を 真剣に考えて行動してほしいです。
posted by ASUNARO 先生 at 00:21| 岡山 ☁| Comment(0) | 日々是雑記 | 更新情報をチェックする

2020年03月30日

ただのカルタとりではありませんょ~

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教室の机( 120㎝×80㎝ ) の隅から隅までに広げられたカルタ。
「 先生が読み聞かせで読んでくれる、ばばばぁちゃのカルタだぁ 」 と。
興味をもってくれて、導入としては上々です。

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今の季節を感じられるカルタも多くありました。
教材準備も四季を大切にする目的にも即しています。


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この絵札をとった瞬間。
「 せんべいをそーっと食べても見つかってしまうのは。パリパリ音がするからだよー 」と。
文字だけで探していたと思いきや。見つかる理由も想像した読み札探しも進めていたんですね。
いいですねー とても いい脳の働きです。


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このまま終わったのでは、
ご家庭でもするカルタとりとなんらかわりません。
ここで負荷をかけての授業となるんです。
それは、絵本のページをサラサラ読むように、
二枚の読み札を一息に読むんです。
やってみてわかります。
お子さんのタイプは、
前出記憶を鍛えているのか。後出記憶を覚えやすいのか。
この授業目的は二枚とも記憶しつつ、絵札を探せること。

入学してからは、一度に2つや3つの声掛けがかかります。
そんな時に、聞き洩らさない学びをしているわけです。

生徒さんは、見事やりきって満面の笑顔でした。達成感の顔です。
そして、
「 先生より厚みがあるから、僕の勝ちだね。 」 と。

厚い薄いの言葉の学びも、しっかり積み重ねができています。
posted by ASUNARO 先生 at 03:10| 岡山 ☁| Comment(0) | 授業の様子 教材の使い方 | 更新情報をチェックする

2020年03月29日

旬を美味しくいただくこと

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掘りたてのタケノコをいただいたので。
娘にすぐ鬼皮をはいでもらい。
新鮮だから、灰汁抜き無しの下茹でのみをして。
今朝、かつおだしで味付けしました。
今日のメインは、筍ですよねっ!!
posted by ASUNARO 先生 at 15:55| 岡山 ☁| Comment(0) | 日々是雑記 | 更新情報をチェックする

2020年03月28日

南ヨーロッパ生まれのビンカ属

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ビンカって何よ? って思ったことのある、この花は父の好きだった植物だ。

ツルニチニチソウと呼ばれるつる性の植物だ。
茎が地表を這って這って、節から根を下ろして増え続け、
寒さも乾きにも耐える力強さと子孫繁栄へのたゆまない地道な歩み。

今年も庭に直径3㎝ほどの紅碧(  べにみどり )色の花を咲かせた。
この花を見て、10か月間はこの草のことをすっかり忘れていて、
【 愛でてくれた主亡き後も 咲いている 】 と、その存在に気づかされる。

没して十二年。
父の若かった頃のことや、わたしの記憶にないわたしの幼き頃のこと、
どのような分野でも一定の対話のできる雑学王だった父・・・。
もっと もっと なんでも話してみたかった、
聞きたかったという忸怩とした思いは、今も重苦しく心に残る。


posted by ASUNARO 先生 at 23:16| 岡山 ☔| Comment(0) | 日々是雑記 | 更新情報をチェックする

2020年03月27日

教科書では学べない存在

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身の回りの風景から、徐々に消えていっていることに気づく。
水門は木製であり手動だったものが、金属製のAI管理のものへと工事が進む。
水が引き入れられている、キラキラ光る水面の田を見かけると。
『 あぁ 田植えの準備が始まった、そういう季節なんだなぁ 』
って、毎年毎年、当たり前のように何十年も見てきた田。

米などを作る後継者がいない田は、あちらもここも荒れ地となっていく。
都市計画により、昨年も稲穂をつけていた田もとうとう無くなるようだ。
いや。まだ今年は田植えがおこなわれるかもしれないと思っていた。
農耕民族だった先祖の在り様を20年後の未来を担う子どもたちに、
ありのままの稲作の過程を四季と共に見せられなくなる日も近い。

けれども・・・。
今年は、今般世界中を揺さぶっているあの事情により・・・
準備ができないのかもしれない。
令和元年から令和二年になった日。
よもや、こんな毎日が続くだなんて、誰も思ってはいなかっただろう。
現在起こっていることは、いずれ教科書に書かれるであろうことは間違いない。
それとは別に。教科書でしか学べないものは増え続けるだろう。
語り継がれ続けられるものにも限度があるし、この現実に悲憤慷慨である。




posted by ASUNARO 先生 at 02:08| 岡山 ☁| Comment(0) | 日々是雑記 | 更新情報をチェックする